今日は、もう、だいぶ前のことになるがイスラエルにボランティアに行った時の話をしようと思う。
なんせ20世紀の話なんで曖昧な記憶を呼び起こして書いているのでぼやっとしています。
申請書類やら、ビザ等の細かい条件はだいぶ変わっていると思います。
最新情報は他のところでゲットしていただいて私の話は、あくまでも体験談として読んでもらえれば幸いです。
イスラエルに行った理由3つ
イスラエルに行こうと思った理由は3つあります。
1.オーストラリアにワーキングホリデーに1年間、行ったものの期待するほど英語が伸びていない。
2.友人がすでにイスラエルのボランティアに参加していたので話を聞いた。
3.当時の仕事にしていた事務系の派遣社員でその先の将来も不透明ここに文字を入力してください。
その中でも1番の理由は、友人がイスラエルにキブツボランティアに行った経験があり、その体験談を聞いたのきっかけになります。
では、友人がイスラエルにボランティアで言ってたかというとイギリスに留学中に、そのボランティアのことを知って興味を持っていくことになったそうです。
詳しい話は忘れましたが、私は身近に先駆者がいたので行くきっかけになったのです。
友人はよく、イスラエルから手紙をくれました。
その手紙には「今ゴラン高原にピクニックできています。地雷が埋め込まれてるらしいですが、踏まないように気おつけるね。」
と言うような、エピソードが強烈だった記憶があります。
当時、ゴラン高原を調べてみると、シリア南西部からイスラエル北部のガリラヤ湖東側に広がる高地であり、地雷があると言われてました。
そんな手紙が届いて興味を持ち始めたんですよ。
でもすぐには行かなかったんですよね。イスラエルって危なそうなじゃいですか!!
それでもやっぱりイスラエルにある死海は、いつか行ってみたいし、中途半端な英語力もなんとかしたかった。
最終的に行こうって決めたのは、年齢制限があったからです。
オーストラリアにワーキングホリデーに行った時も、年齢制限があったしこのキブツも年齢制限があありました。
キブツの年齢制限は32歳で、私がイスラエルの体験話を一番最初に聞いたのは28歳ぐらいの時です。
その後、数年間月日が流れていって、自分が31歳になったとき、もういくらなら今しかない。
今年決断しないと、来年は後悔している自分が見えると思って決断しました。
今思い返しても、よく決断したなって思います。
当時の私はいろんな体験がしたかったんでしょうね。
行く方法を調べるところから始める
決意を決めた後、いく方法をいろいろ調べ始めました。
当時は、かろうじてインターネットはありましたが、まだまだ一般的には使ってる人が少なくて情報集めるは、困難でした。
まず、キブツボランティアにどうすれば行けるのか?
当時行く方法は2つありまして、
そして、私が選んだのは、イスラエルのキブツボランティアに直接申し込む方法。
大使館で募集されて集まった日本人と一緒に行ったら、イスラエル行ったって日本語を話してしまうじゃないですか!
それじゃあ意味がないんですよ。
そして、私はキブツの事務所にEmailを出しました。
応募条件は32歳以下で英語中級以上だった気がします。
特に、英語力のテストしたわけじゃないど一応英語力なんて自己申告だったんで、まあ、キブツの事務所の人と英文の文章で意思疎通ができてたから特に問われませんでした。
その時の英語力といえば、20代前半にワーキングホリディーに1年行っていた
ぐらいで1年いってたからってそんなにベラベラ喋れるわけではなかった。
でも英語を聞く耳はかなり慣れてたとは思います。
オーストラリアからワーキングホリディから帰ってきたきてから数年後、日本で今でいうシェアハウスに住んでました。
シェアハウスには外人さんがいっぱいいたのでそこで多少練習する機会はあったぐらいです。
しかし、シャアハウスにも日本人がいたので、日本人とつるんでいたので、英語はほとんど使ってなかったです。
つたない英語力でキブツボランティアオフィスと、やりとりを数回した後、あとはボランティアオフィスに行く日だけ伝えてました。
時間は指定されなかったが、夜は危ないから、なるべく午前中にきてって言われました。
とりあえず、今日はここまで、
その2に続きます!
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